dD望月 優

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dD(ディーディー)望月 優

1990年代は東京を中心に酒と音楽を生業に「世の中ゼニや!」という生活の中で、本来の「ひと」として進化の方向と社会の方向が全く違うことに氣づく。

2002年に冨士山1150mにある天台宗「聖徳寺」と出会い、命題だった「人類は何処に向かい、何の為に進化しているのか」を同地でのサイケデリックパーティーを通じ本氣で模索しはじめ、2007年より住み込み同年末からひとり寺院管理と勧業を始める。

 神仏の秘術を得て、合氣道、心身統一道等に導かれ、肉食や化学調味料、砂糖などを絶つ禊をはじめた1ヶ月後に草や木などあめつちの声から商品などの念=氣を声と感じるようになる。
2008年頃より冨士の天岩戸ひらきをきっかけに各地の磐座、遺跡、古戦場などに呼ばれ、四国・石鎚山や大峰山、御嶽山より528Hzの法螺貝やアイヌ民族にわずかに継承されていたイオンカ(オーストラリア・アボリジニの楽器とされているイダキ、ディジュリドゥの原型)などを授かり、日ごと世界のどこかで祝詞や経文、ウタヒとともに天地人の祓え浄めとつなぎの音(ね)を立てている。

ちなみにdDはとびらが開いている様子。岩戸ひらき神事に由来する。

音楽歴

3歳よりピアノを坂本和美 森川裕美に師事
10歳のときにYMOの影響を受け、シンセサイザーを手にする。
15歳からクラシックサクソフォン 故大室勇一氏に師事 
10代後半から地元甲府で芸大出身の先輩の音楽スタジオに立ち上げから参加。ローカルCMの音楽製作などを手がけ、プレイヤーとしては20代後半までメジャーJ-popのバックバンドやビックバンド、中高大一般の吹奏楽講師など 
30代は富士山一合目の寺院を中心に、天地とチューニングする「人」となる目的の音楽フェスを開催。 
そのままその寺の管理人になり、読経や祝詞、ウタヒなどを通じて「自然倍音」が人と自然をチューニングする近道と感じ、そこから縁のあった法螺貝、磐笛、ディジュリドゥの原型であるウドの大木の笛などとともに、日ごとどこかで音を立てている。

望月真由美

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